サンリヴァルとフラストレート
第85回ダービーが終わりましたね。
ワグネリアン&福永ジョッキー悲願のダービー制覇で幕を閉じましたが、このダービー出走馬でただ1頭、戦前からの我が国古来の血統を受け継ぐ馬がいました。
13着だったサンリヴァル。1900年英国生まれで日本に輸入されたフラストレートと日本初の本格サラブレッド種牡馬インタグリオーの間に生まれた第三フラストレートを起源としています。フラストレート系は小岩井基礎牝馬の中でも繁栄した一族としてマニアには有名です。
どうでもいい話ですが、第三フラストレートて名前ですが、この頃は牡馬なら父の名前を(例第五インタグリオーとか)、牝馬なら母から名前をもらうのが通例でした。
第三フラストレートは母の3番目の牝馬ということになります。どうでもいい。
快挙と悲劇の名牝
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ヒサトモ(久友)
- ■生年:1934年4月23日
- ■産地:下総御料牧場
- ■性別:牝馬 ■毛色:鹿毛
- ■品種:サラブレッド
- ■馬主:宮崎信太郎 ■厩舎:中島時一(阪神)
- ■成績:26戦14勝 ■収得賞金: 98.981円
戦前の名馬のうち最もドラマに満ちた馬がヒサトモだろう。史上初の牝馬によるダービー制覇を成し遂げたことは序章に過ぎない。 四歳の秋から喉を悪くして不調となったが、五歳で回復してからの彼女の強さは天を行くものだった。並み居る強豪がひしめいていたこの頃、スゲヌマ、テツモンですら絶頂期のヒサトモには及ばないほどだったのだ。
戦前最高賞金を獲得して華々しく繁殖に入ったが、そこから一転不幸がヒサトモに待ち受けていた。受胎率が悪くわずか4頭の産駒しか残せず、母として立場がなくなったヒサトモは十六歳にして地方競馬に復帰させられたのだ。
戦後の混沌とした時代、競走馬不足にあえぐ地方競馬では元競走馬が呼び戻されたに留まらず、農耕馬がレースに出されたこともあったようだ。ヒサトモという大名馬の人気にあやかりたかったのだろうか。ヒサトモの現役復帰は戦後も長らく続いた最高齢出走でもあった。それでもけなげに走り2勝を上げたのは感服に値する。しかし、体に無理がない訳がなく、競馬場内で突然、心臓発作により死亡してしまったといわれる。
戦前最高級の名馬としてはあまりに不幸な最期だったが、彼女のドラマはそれでは終わっていなかった。
ヒサトモの死から40年以上たった時、ヒサトモが残したたった4頭のうちの1頭の牝馬の血が生きながらえ、感動を呼ぶ名馬を誕生させ、日本競馬界に旋風を巻き起こしたのだ。トウカイテイオーである。彼の血を通じヒサトモの血は消えることはないだろう。
誰が興味あるのか戦前競馬
本日よりブログ始めたいと思います。
戦前競馬とひとまとめに言っても明治、大正、昭和初期と時代毎にその様子は大きくちがうんですよね。
古すぎると記録が残っていないことも当たり前ですし。
おもに現代につながるレースが行われ始めた日本競馬会時代を中心に書いていこうかと思います。
数年前に「名馬タイムスリップ」というサイトをやっていたので
そこで載せていたことも再掲載したいと思います。